両親が一酸化炭素中毒で死にかけた時の不思議な体験

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私が小学校5年生の時

両親が一酸化炭素中毒で死にかけたことがありました。

 

あと5分発見が遅かったら、

命はなかったというギリギリの状態だったにもかかわらず、

後遺症も全くなく、

今も元気に過ごしているのは

奇跡としか言いようがない

とお医者さんも言っています。

 

その時に体験した不思議なお話です。

 

両親が倒れているところを発見した朝

寒い寒い朝

私はハッと目が覚めました。

 

あたりは明るくて、

あれ、いつもは母が起こしてくれるのに、今日は起こしてくれなかった。

なんでだろう。

 

階段を降りて台所に行くと

いつも朝ごはんを作っている母はいなくて、

両親の寝室から

「うーーーん、うーーーーん、うーーーーーん」

と一定の調子で低い唸り声が聞こえていました。

 

怖くなって部屋に入れないでいると

兄が起きてきて、

「なんか変だよ」と一緒に両親の部屋に入る。

 

すると両親がベットで寝たまま、倒れているのを発見した。

 

「うーーーん、うーーーーん、うーーーーん」

と唸っているのは母。

 

父は息が今にも途切れそうに絶え絶えになって、

水浸しの布団の上で動けなくなっていた。

 

「お父さん!お母さん!」

と声をかけても全く起きる様子もない。

 

 

長男が必死にみんなに指示を出す。

「お前は先生呼んでこい!」

「お前は声をかけ続けろ!」

そう言って、急いで救急車を呼ぶ。

 

私は泣きながら隣にある小学校に行き、

学校に来たばかりの教頭先生に、

「先生・・・。お父さんと・・・お母さんが・・・」

と声にならない声で

泣きながら話す。

 

尋常ではないと思った教頭先生が、

急いで自宅に来てくれる。

 

そこには倒れた両親に、

泣きながら必死に声をかける兄たちの姿があった。

電話で指示をもらいながら

心臓マッサージをする兄と先生。

母は「うーーーん、うーーーーん」と唸り声をあげるのみで、

声かけに反応はなかった。

 

しばらくして救急隊員が駆けつけて、

「家中にある毛布を持ってきて!」

と指示されたので、

毛布を持ってきては両親をグルグル巻きにした。

低体温になっていたのだろう。

数人で救急車に両親を乗せ、

長男が救急車に一緒に同乗して行った。

 

 

両親が救急車で運ばれた後の不思議な光

両親を乗せた救急車が去った後、

教頭先生が「今日は学校休みなさい」と言ってくれたので

家で待機することになった。

静まりかえった家の中。

自分の部屋に行き、

 

神様!

どうかお父さんとお母さんを助けてください!

 

と必死になって願った。

すると、窓から

パーーー!!と光がさしてきて、

私を照らしてくれた。

 

ああ、よかった。

お父さんとお母さんは助かるんだ。

神様ありがとうございます!

 

なぜかそう感じて、

子供ながらに安心することができた。

 

両親のその後

両親がなぜこのように倒れてしまったのか。

その原因は「練炭」。

この日はとても寒くて、

部屋を温めるためにこの頃よく練炭を使っていて、

誤って部屋のドアを閉めっぱなしにしてしまったらしい。

 

周囲の噂では「練炭自殺を図ったのではないか」

と囁かれたが、

ただの親の凡ミスだった。

 

大人になって分かったことは、

一酸化炭素中毒になると、

命はない、

もし命をとりとめても後遺症が残る可能性が高い

ということだった。

 

救急車で運ばれた病院で、

当直のベテラン先生が両親の病態があまりに重症だったため、

すぐに市内の大きい救急病院への搬送を決めてくれた。

田舎の病院だったため

的確な処置が不可能だったのだ。

すぐに搬送を決めてくれたおかげで、

1時間程度で救急病院に移動することができた。

 

もしこの日の当直がベテラン先生ではなくて

判断が遅れていたら、命はなかった。

後5分子供たちが両親を発見するのが遅れていたら、命はなかった。

 

後々にそう言われ続けた。

たくさんの奇跡がつながったおかげで

命をとりとめたのだ。

 

一命を取り留めた両親は、

意識が戻ったICU

隣同士で並んでいるベットで泣いたという。

 

その後両親は1〜2ヶ月入院することになった。

その間子供達で協力して家の家事をして

学校に行ったりした。

 

そして病院の先生もびっくりすることに

後遺症が全くない

ということだ。

命を取り留めても、

必ず後遺症が残ると言われていた。

 

親戚のおじさんは、

子供達を引き取らなければいけなくなるかもしれない

と覚悟していたらしい。

 

けれど、両親に後遺症は全く残らなかった。

 

退院から1年後にも病院から電話がかかってきて

後遺症は出ていないか

確認の連絡が来るほどだった。

奇跡としか言いようがない、と先生は言った。

 

あの時、ハッと虫の知らせで朝起こしてくれた奇跡。

天から光がさして、両親が大丈夫だと教えてくれた奇跡。

当直の先生が超ベテラン先生だった奇跡。

 

たくさんの奇跡が重なって

今も両親が元気に過ごせているのだと思う。

 

ご先祖様に守られたのか。

きっとそうに違いない。

 

毎日寒い日も暑い日も、

仏壇や神棚に手を合わせて、

いつも周りの人に感謝し、

ご先祖様に感謝し、

行動する。

 

そんな両親をご先祖様は守ってくれたのだろう。

ありがとうございます。

本当に心から感謝します。

 

この生かされた命を大切に、

感謝を周りにお返ししながら

残りの人生も

豊かに過ごしてもらいたいですね。